骨董舎

繊細な輝きを放つヴェネチアン・グラス

ヴェネチアン・グラスの歴史

ヴェネチアでいつごろからガラスが作られはじめたか定かではありませんが、文献資料から982年には「瓶ガラス職人のドメニコ」という人物がいたことがわかっています。
1291年には、全てのガラス職人とその家族までが製作技術の流出を防ぐため、加えて火災の被害を防ぐためにムラーノ島に移住させられ、ヴェネチアングラスの製作を担っていました。1450年頃に開発された無色透明なガラス「クリスタッロ」の誕生で、その後のヴェネチアングラスの人気を不動のものとします。
職人たちは、「クリスタッロ」の特製を生かし薄くて軽やかな吹きガラスを作ることに努め、多種多様な技法を編み出していきました。また、イスラム圏から移住した職人の影響からエナメル彩や金彩を用いた色鮮やかな器が登場します。

16世紀になるとヴェネチアのもう一つの伝統工芸ニードルレース(針と糸だけで造るレース編み)の繊細さをガラスに応用したレースグラスやダイヤモンドポイント彫りなど、よりエレガントな器が発展しました。職人たちは、様々な注文に応えようと多種多様な作品をもとめ、その発想を磁器製品や自然石、伝統的なレース模様などためらうことなく取り入れました。その結果、ヴェネチアグラスはヨーロッパのみならず世界各国に運ばれ人気を博しました。日本にも16世紀から17世紀に盛んに渡来した南蛮船によってもたらせれました。和ガラスにも影響を与えているのかもしれません。

ヴェネチアングラスの衰退と復興

しかし、各国がガラス産業の保護のため関税制度を整備すると、ヴェネチアのガラス輸出は激減してしまいました。加えてナポレオンのイタリア遠征、1797年のヴェネチア共和国の崩壊で1806年500年続いた職人組合は解体、ムラーノ島のガラス産業は立ちゆかなくなってしまったのです。

衰退したヴェネチアングラスの復興に活路を見いだしたのは、当時盛んに計画されていた美術館建設に伴う、古代からルネサンス以降の名品のレプリカ製作でした。ガラス職人のための学校を設立し、高い技術を持った職人を育成しました。19世紀に入り伝統と近代性が融合したヴェネチアングラスが生まれました。

骨董舎で販売しているヴェネチアン・グラス

乳白色に薄いピンク色のグラス部分はヴェネチアのゴンドラをイメージさせる。華奢な金彩のステムが美しい。19世紀末ごろの作品か?

Effe Due(エフェ ドゥエ)イタリア
1966年以来伝統的なランプやシャンデリア、手吹きのガラス類を製作。

日本の作家との関わり

日本のガラス工芸の第一人者である藤田 喬平(ふじた きょうへい、1921年4月28日 – 2004年9月18日)も1977年から1年のある一定期間をヴェネチアで過ごし、現地の職人の手を借り製作していました。

藤田喬平の代表作である「飾筥」銘は竹取物語

紹介されている品物は、古好屋オンラインショップでご購入出来ます。

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