人間国宝? 帝室技芸員? どう違うの? 誰のこと?
人間国宝とは?
物ではなく技術に対して認定されます
「人間国宝」という言葉はよく耳にします。人間が国宝として美術館に飾られていたらチョット怖い話ですね。でも心配ご無用です。人間国宝という言葉は通称であり「重要無形文化財の各個認定保持者という認定を受けた人」ということです。物ではなく、その「技」を持つ人間のそのものを“文化財”とする名称です。
芸能では雅楽、能楽、文楽、歌舞伎、舞踊、演劇など、工芸技術では陶芸、染色、漆芸、金工、木竹工などで認定されています。
1950年(昭和25年)に文化審議会によって「重要無形文化財(人間国宝)」が議決されました。
1954年(昭和29年)文化財保護法改正
1955年(昭和30年)1月27日、文化財保護委員会は重要無形文化財技術指定制度第1次指定を内定。告示されたのは喜多六平太・豊竹山城少掾(能楽)、石黒宗麿(陶芸)、浜田庄司(陶芸)、富本憲吉(陶芸)、松田権六(漆芸)他がいました。
このような自国の芸術家を守る制度は日本のみで諸外国にはありません。少し鼻が高いでしょう?
「無形」があるなら当然「有形」もあります。絵画や古美術品、建造物などがそうです。こちらは又の機会にしましょう。
優れた技能を持つ人は1人で重複して「人間国宝」指定を受けています。
北村武資(たけし)が織物の「羅・経錦」で、荒川豊蔵が「瀬戸黒・志野」で、喜多川平朗が「羅・有職織物」で重複認定されています。
驚くことにこんな名誉ある認定を辞退した人物がいます。
陶芸家の河井寛次郎、陶芸家初の文化勲章を受章した板谷波山、美食家としても知られる北大路魯山人です。お断りした理由はどんな考えだったのでしょう?
というのは名誉の称号の他に年額“200万円”が生涯支給されます。この助成金200万円の理由は認定の間「美術工芸作家の文化財保護と活用、制作奨励のため」と「技」の維持や後継者育成といった活動費です。
付加価値として作品に箔が付き売買価格が高くなります。死後、認定が外されても栄誉は保たれます。良いことずくめでしょう? 私なら喜んで何度でもお受けします!
帝室技芸員と人間国宝の違い
簡単に説明しますと人間国宝の前身が帝室技芸員です。
“帝室”とは“皇室“のことです。
帝室技芸員は、帝室(皇室)による日本の美術工芸作家の保護と制作の奨励を目的として設けられた顕彰制度です。人格、技量ともにすぐれた作家が任命され、美術家最高の栄誉と権威を示しました。
1888年(明治21年)に帝室より「宮内省工芸員」が制定され、1890年(明治23年)にそれに変わる「帝室技芸員」制度が発足されました。最初に任命されたのは高村光雲(彫刻)、石川光明(彫刻)、柴田是真(漆工)、橋本雅邦(画家)、田崎早雲(画家)、森 寛斎(画家)、狩野永悳(画家)、伊達弥助(織物)、狩野夏雄(彫金)等がいました。
1890年(明治23年)に設立されてから1944年(昭和19年)までに絵画 45名、彫刻7名、工芸 24名、建築2名、写真1名、計 79名が任命されました。
帝室技芸員は勅命や帝室博物館(現東京国立博物館)総長の要請に応じ「作品制作」をすることが義務づけられていました。旧宮内省に属して宮中で用いる工芸品・美術品などの制作に携わり作品はお買上げと決まっていました。
原型 高村光雲 ブロンズ 原型 石川光明 ブロンズ
明治の混乱期にかくも格調高い文化認定制度が生まれたのは何故でしょう?
ミステリー好きの素人見解に少しお付き合い下さい。
明治初期に廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動という内戦でもないのに最悪の蛮行・破壊が全国規模で行われました。日本史の一大汚点といわれている大事件です。歴史的価値のある貴重な仏教美術や寺院が損なわれました。大損害ですよ!
(原因はありますがそれにしてもね)その取り返しの付かない損失が痛い経験となり、遅ればせながら品物も人も国独自の文化を守らねばと冷静な知識人が発案し、発足に至ったのではないでしょうか。と推測したのですが…。真実は如何に!
どの作品も素晴らしいです。国が認めた「美」ですから長く後世に残したいですね。一朝一夕で成せる技ではありません。名匠となるまでにどんな苦労があったのかは分かりませんが、日本の美術工芸、超絶技巧の発展のためにもこの制度は続いてほしいと思います。
このブログに掲載されている作品はすべて骨董舎にてご覧いただけます。
ぜひ、実物の素晴らしさをご体感ください。