スタッフダイアリー

群馬ゆかりの画家たち|作品とその魅力

前回のブログでは、骨董舎から巡るおすすめの散策スポットをご紹介いたしました。
さて今回は、当店選りすぐりの作品とともに、群馬にゆかりのある多彩な画家をご紹介いたします。
優美な美人画や情緒豊かな風景画をはじめ、洋画・日本画とジャンルを問わず愛され続ける魅力的な作品の数々をぜひご覧ください。

山口薫が描いた詩情と静寂の世界

山口 薫(やまぐち かおる/1907年-1968年 現・高崎市箕郷町出身)
群馬県の榛名山麓(現・高崎市箕郷町)に11人兄弟の末っ子として生まれた洋画家・山口薫は、戦後日本のモダンアート運動を牽引し、国際的にも高く評価された作家です。東京美術学校を卒業後に渡仏して研鑽を積み、帰国後は新時代洋画展やモダンアート協会の結成に関わるなど、前衛的な表現の第一線で活躍しました。

山口の絵画において、故郷の原風景と深く結びついた「牛」と「馬」は、中学時代の絵日記にも描かれるほど、長く愛され続けた重要なモチーフです。淡い光や満月とともに描かれる馬は、少年の日の追憶や現実を超越した精神の静寂を象徴しています。

1967年頃から病に倒れて入退院を繰り返すなかでも、描くことを生活そのものとしていた山口は最期まで創作の手を止めませんでした。死が間近に迫るにつれ、画面からは過度な装飾や力みが削ぎ落とされ、形態は極限まで純化されていきます。

下記の作品は、画面中央上部には柔らかな光を放つ緑色の円が描かれ、その下には赤褐色(朱色)の馬たちが並んでいます。細部を省いた細長いシルエットと、幾何学的な円形を組み合わせた構図が印象的です。古代の壁画や素朴な民芸品を思わせる、静けさと神秘的な雰囲気が漂う作品です。

山口薫

高沢圭一|女性美を描いた洋画家

高沢圭一(たかさわ けいいち/1914–1984 群馬県出身)
群馬県に生まれた高沢圭一は、独自の官能性と気品を備えた美人画で人気を集めた、昭和を代表する洋画家の一人です。
日本大学芸術学部を中退後、1939年の聖戦美術展で朝日新聞社賞を受賞し、画壇で注目を集めるようになりました。戦後は、雑誌『婦人公論』の表紙絵を長く手がけ、幅広い層から人気を得ました。1970年代にはパリの画廊で個展を開催するなど、海外でも作品を発表しています。また、画家としてだけでなく文筆家としても才能を発揮し、
1977年には著書『画になる女』で第1回日本随筆家協会賞を受賞しました。

高沢圭一の作品の魅力は、竹久夢二を思わせる叙情性と、近代洋画ならではの造形感覚を取り入れた女性表現にあります。しなやかな女性の姿や、どこか憂いを含んだ表情、和装の襟元からのぞく白い肌など、繊細な描写の中に優美さと艶やかさが感じられます。和の趣を感じさせながらも洋画らしい洗練を備えた高沢作品は、現在も多くの愛好家に親しまれています。

高沢圭一

久保繁造と前橋の風景


群馬県の美術界を牽引し、二科会の重鎮として
中央画壇でも高い評価を受けた洋画家・久保繁造(くぼしげぞう1911〜2006 群馬県群馬町/現・高崎市)
1911年(明治44年)、群馬県群馬町(現・高崎市)に生まれた久保繁造は、日本大学芸術学部を経て太平洋美術学校を修了。1942年には同郷の画家・清水刀根に師事しました。戦後の二科展で記念賞や特待賞を重ね、1991年には第76回二科展にて内閣総理大臣賞を受賞。群馬県美術会会長や二科会理事・常務理事を歴任するなど、群馬の美術文化の振興にも多大な足跡を残しました。
その筆致は、確かなデッサン力と情感豊かな色彩が特徴です。ヨーロッパの風景などを描いた作品とともに、彼が愛着を持って描き続けたのが地元・群馬の風景でした。
特に前橋の街を描いた作品では、広瀬川に架かる「比利根橋」や、街のターミナルとして人々が行き交う「中央前橋駅」など、地域の生活に根ざした情緒あふれる日常の情景が鮮やかにカンバスに捉えられています。
変わりゆく街並みの中で、久保繁造が描いた前橋の風景は、いまも見る人に懐かしさと温かな郷愁を伝えてくれます。

正田壤が描く世界 | 詩情あふれるモチーフたち

群馬県出身の洋画家・正田壤(しょうだ じょう 1928-2016 群馬県太田市出身)
近代洋画の巨匠・山口薫に師事し、モダンアート協会を中心に独自の世界を切り拓いた正田壤。
観る人をふっと童心に帰らせる、幻想的で物語性に満ちた作風が魅力です。

本作品には、大きな帆を広げた異国情緒漂う帆船や、望遠鏡を手にした愛らしい人物が描かれています。空や海を軽やかに舞う魚やトンボ、どこか懐かしさを感じさせる柱時計を宿した樹木など、
遊び心あふれるモチーフがリズミカルに配され、豊かな色彩とともに独特の世界を生み出しています。絵の具の厚みを感じさせる豊かな絵肌と、素朴さの中にも洗練された造形が印象的です。
師である山口薫から受け継いだ詩情を感じさせながらも、正田壤ならではの無邪気で温かなファンタジーが広がります。お部屋に飾れば、空間に彩りを添え、眺めるたびに新たな発見があるような魅力的な一点です。

正田壤

草むらをゆっくりと進むピンクのかたつむり、足元を泳ぐ魚、そして丘の上のランプや空に浮かぶ提灯といった日常離れしたモチーフが散りばめられ、観る者に一枚の絵本をめくるような想像の余白を与えてくれます。細身で素朴な人物の線画や民族調のドレスの幾何学模様にはモダンなリズムが宿り、みずみずしい緑や深い青、アクセントとなるピンクの鮮やかな対比が、余白の美しさと相まって爽やかな空気感を生み出しています。

正田壤 水彩

南条一夫|身近な自然への親密な眼差し

群馬ゆかりの洋画家・南条一夫(なんじょう かずお 1900–1968 群馬県前橋市出身)
旧制前橋中学校を卒業後、東京美術学校(現・東京藝術大学)へ進学。同校在学中の1924年に盟友・岡鹿之助とともに渡仏し、
約13年間にわたる滞在のなかでロジェ・ビシエールやアンドレ・ロートに師事、サロン・ドートンヌなどに出品を重ねました。
1937年の帰国後は故郷・群馬を拠点に制作を続け、春陽会の中心作家として活動。戦後は群馬県美術展の創設期から審査員を務めるなど、郷土の美術界を牽引し、晩年は安中市で過ごしました。フランス仕込みの洗練された造形感覚と、身近な自然を温かく見つめる詩情豊かな作風で知られています。

南条一夫

生い茂る草木の向こうには、黄金色に輝く畑や木立が広がっています。
手前の草むらには赤や黄色の小さな花々が描かれ、豊かな緑の中に彩りを添えています。

草木の濃淡や色の重なりによって、画面に奥行きが生まれ、自然の風景が生き生きと表現されています。
細かな部分を描き込みすぎず、筆の動きを生かした表現からは、風に揺れる草木や、木々の間から差し込む光が感じられます。

また、緑を基調とした画面に黄金色や赤、黄色が加わることで、落ち着いた中にも明るさのある色彩に仕上がっています。何気ない田園風景の中に、季節の移ろいや自然の豊かさを見いだした画家の眼差しが感じられます。画面左下には「Nanjo」のサインが記されています。身近な自然を丁寧に見つめ、その美しさを描き出した、温かみのある作品です。眺めるたび、のどかな自然の中に身を置いているような心地よい安らぎを届けてくれる一作です。

福田 貂太郎|暮らしに根ざした美を紡ぐ文人画家

群馬で身活躍した画家・書家、福田貂太郎(ふくだ てんたろう / 1903–1991 群馬県前橋市出身)
独学で油絵を学び、1932年に第7回国展で風景画など4点が初入選。以後も国展を中心に作品を発表しました。1951年には、川隅路之助やオノサトトシノブ、深谷徹らとともに群馬美術家連盟の創立会員として参加。油彩画に加え、書籍の挿絵など幅広い分野で活躍し、群馬の美術界にも足跡を残しました。

鋭い眼光の中にユーモアを忍ばせた鍾馗像や、湯上がりに髪を梳く女性の楚々とした立ち姿、
あるいは露草や梅、朝採りの野菜、蓮池のカッパといった身近な動植物や風物たち――。
墨の濃淡と伸びやかな筆勢、そして瑞々しい淡彩によって、生き生きとした表情と温かみが見事にすくい取られています。さらに魅力的なのが、絵に寄り添うように添えられた味わい深い書(賛)です。漢詩や古典の教養から日常のつぶやきまでを、リズミカルな筆致でさらりとまとめ上げ、観る者にクスッと笑える親しみやすさと知的な余韻を届けてくれます。

明治から平成の時代を駆け抜け、日々の暮らしに寄り添う温かな美を紡いだ福田貂太郎。
ふと目を留めるたびに肩の力を抜いて心を和ませてくれる、作家の洒脱な人柄と深い魅力がぎゅっと凝縮した一作です。

深谷徹 群馬が育んだ異才

洋画家・深谷徹(ふかや とおる 1913–1992 群馬県前橋市出身)
1913年、前橋市に生まれた深谷は群馬師範学校を卒業後、教職に就くかたわら画作を志し、上京して絵画の研鑽を積みました。
戦後の1953年には渡仏し、パリのアカデミー・ド・ラ・グランド・ショーミエールやスペインのマドリード美術学校で本場ヨーロッパの絵画表現を学びます。

帰国後は「創元会」や「日展」を舞台に本格的な発表を重ね、1965年の第8回日展では出品作『集落』で最高賞の一つである日展菊華賞を受賞。その後、日展評議員や創元会常任委員といった要職を務め、日本洋画壇の中核として確固たる地位を築きました。

国内外の雄大な風景や静物を得意とし、ヨーロッパ仕込みの骨太で重厚な筆致(マチエール)と、自然の大気・光を捉える確かな描写力が高く評価されています。晩年は生まれ故郷である群馬の豊かな自然や素朴な集落の風景を数多く描き、郷里の美術界発展にも大きく貢献しました。

深谷徹


画面を包み込むのは、背後にそびえる山の深い暗緑色と、手前の木々や草むらが見せるみずみずしい緑のコントラストです。その緑のグラデーションのなかに、岸辺に佇む民家の赤みがかった屋根が温かなアクセントとなり、人の営みのぬくもりを静かに伝えています。水面に浮かぶ小舟や穏やかな波の揺らぎは、大胆でありながら丁寧なタッチで描かれ、吹き抜ける湿り気を帯びた風や、水辺特有の静まり返った時間を肌で感じるかのようです。

豊田一男と群馬のつながり

北海道出身の洋画家・豊田一男(1909–1989)は、東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業後、1934年の二科展初入選を皮切りに画壇で頭角を現しました。その後、自由美術家協会や主体美術協会の創立に参加し、戦前から戦後にかけての日本の近代洋画界を牽引しました。また、群馬県立高崎女子高校などで教員を務め、美術教育の現場でも長く貢献しました。

青くそびえる鋭い岩峰と、手前に広がる穏やかな丘陵のコントラストが印象的なリトグラフ作品です。上毛三山のひとつである妙義山の険しい山容を、力強い墨色の線と澄んだ色彩で見事に捉えています。冷涼な青で表現されたごつごつとした岩肌に対し、山麓には温もりを感じさせる黄色の斜面が広がり、そこには木々や民家の佇まいが小さく描き込まれています。荒々しい自然の迫力と、その麓で静かに息づく人々の営みが心地よく調和した、郷愁と詩情を誘う風景です。

豊田一男 1


いかがでしたでしょうか。今回は群馬にゆかりのある画家をご紹介いたしました。
写真や画面越しでは伝えきれない絵肌の質感や色彩の奥行きを、
ぜひ店頭でご覧いただければ幸いです。

群馬の美術や気になる作品がございましたら、
どうぞお気軽にお声がけ・お問い合わせください。

次回もどうぞおたのしみに。


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