甲冑・鎧・当世具足の歴史 後編
先日投稿させて頂きました「甲冑・鎧・当世具足の歴史 前編」はご覧になって頂けましたでしょうか?
前編では、弥生時代に登場した甲冑が、様々な歴史と戦術に対応すべく変化を遂げてきたことをご紹介しました。今回は室町時代以降の甲冑の歴史と様々な趣向に飛んだ甲冑などもご紹介致しますのでご一読下さい。
また、今回の内容を詳しくご紹介しています資料古美術名品「集」VOL.22も合わせてご覧いただければ幸いです。
当世具足の登場 南北朝時代
鎌倉時代までは刀で切りつけるのが主な戦術でしたが、南北朝時代頃から武器の一つとして槍が使用される事になります。槍の登場により切りつける方法から長い柄を使い相手の太刀が届かない範囲から槍で突く攻撃方法が加わり、従来の小札を綴りあわせたものだけは防御できなくなりました。槍の攻撃から身を守るため当世具足(とうせいぐそく)が登場してきました。
当世具足とは
日本の甲冑や鎧・兜の別称。頭胴手足各部を守る装備が「具足(そなえたりる/十分に備わっている)」との言葉から。鎌倉時代以降から甲冑を具足と呼ぶ資料が見られるが、一般的には当世具足を指す場合が多い。また鎧兜に対して、籠手などの副次的な防具は小具足とも呼ばれた。転じて、エビやカニを殻付きのまま煮た料理を、殻を鎧に見立てて「具足煮」と呼ぶ。甲殻類の中には、ダイオウグソクムシやオオグソクムシなど「具足虫」という名を付けられているものもいる。 ちなみに室町時代には、大型の弓矢や薙刀を「大具足」と呼ぶこともあった。 引用→https://ja.wikipedia.org/wiki/具足
当世具足の各部の名称をご紹介致します。
1,兜 2,面具 3,袖 4,籠手 5,胴 6,佩楯 7,臑当
飛躍的に戦術が変化する安土桃山時代
室町時代後期(1543年)に鉄砲が伝来し、瞬く間に全国に普及しました。
その結果、小豪族は大勢力に滅ぼされたり統合され、数カ国を治める大勢力を誕生させ、天下統一を可能にしました。
戦術も大きく変化し、いままで主力だった騎馬武者が鉄砲の標的になりやすいとの理由から、徐々に戦いの中心は鉄砲隊による集団戦法に変化していきました。
また、この頃の具足は鉄砲に対向すべく南蛮胴という胴が出現してきます。南蛮胴とは字の如く南蛮(ヨーロッパ)からもたらされた鉄製の胴に草摺等を付け加えたもので和洋折衷の作りになっています。その強度を確認する為、試験的に試し打ちした物をつけ戦場に赴いた武将もいたそうです。
芸術性と個性に富んだ江戸時代
安土桃山〜江戸時代頃になると具足は、戦国武将にとっての死装束であると同時に戦場というハレの場で身に付ける衣装という意味合いを持ってきます。おのおのの自己主張とカリスマ性などを示す為に個性豊かな姿形の具足が現れてきます。
兜を様々なモチーフ(動物や置物等)の形状にして個性を出した物や、動物の毛を全面に貼り付け威厳を出した物、魚の鱗を模して袖や佩楯などに遊び心を出している物等、武将の意図や思いを感じる事が出来、戦場を華やかに彩ったのかも知れません。
徳川家康が天下統一したことにより、日本における戦の数は急激に減り、甲冑の発展は止まってしまいます。この頃の甲冑の役目は、戦の装束ではなく武家の男子が成人する際の儀式等の衣装として使われるようになります。
その後、明治時代になると武士政権が消えると共に、戦場での装束は甲冑ではなく軍服を着るようになったため甲冑の歴史も終焉を迎えました。
時代と戦術の変化をするごとに形を変え持ち主を守り続けてきた甲冑。
今回簡単にご紹介させて頂きましたが、楽しんで頂けましたでしょうか?
実は、個人的に骨董業界に入るのきっかけになったのはこの甲冑でした。私の中でも甲冑の精巧さや威厳を感じる面頬の表情、小札を一つ一つ威してくみ上げられている仕事の細かさなど数十年経った今でも感動を受ける魅力を持っています。
甲冑の魅力を知ってらっしゃる方だけでなく今まで甲冑に触れた事が無い方もこれを機会に是非一度実際に甲冑をご覧頂き、着用していた武将・甲冑を製作してきた職人の思いを肌で感じて頂きたいと思います。
近くにあります美術館でもご覧いただけますし、当社系列店でも甲冑は常時展示販売しておりますので、お時間が有りましたら足をお運びくださいませ。